空飛ぶクラッカーが授けるもの
いわゆるビッグテックはこれまで、ピザを注文すると数分でドローンが届けてくれる未来を世界中の人々に提示してきたものだ(一部のトライアルを除き、まだ実現していない)。しかし、ピザの配達を終えたドローン自体を食べる未来を描いたことはなかっただろう。なんとこの未来は、実験室ではすでに実現している。
スイス、ローザンヌにあるスイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)のLaboratory of Intelligent Systems(LIS)では、生物学と工学、人間と機械の交差点で知的なシステムの研究開発を進めている。そのなかでダリオ・フロレアーノ教授率いる研究グループが掲げる目標は、従来のロボットのように動き、感知し、情報を処理でき、環境負荷が低く、「食べられる」ロボットを開発することだ。
「ロボットは無機質でかさばり、自然に還ることはありません。しかし食品は有機的で柔らかく、生分解されます。わたしたちはロボットと食をつなげることで、いいことがあると考えているのです」とフロレアーノは語る。
フロレアーノが言う食べられるロボットとは、生分解可能なロボットのことだ。彼の研究グループは、このコンセプトをドローンに応用した。
「ほとんどのドローンでは、翼や機体が重量の大半を占めています。だからこそ、そこを“食べられる素材”でつくることに挑戦したのです」と話すのは、LISの博士研究員ボクオン・クァクだ。
翼の素材に選んだのはパフ状のライスクラッカーだ。「軽量で内部が多孔質なので、空力や構造的にもぴったりでした」とクァクは言う。もちろん栄養価のある食べ物だ。「わたしたちが開発するドローンには、賞味期限と栄養ラベルが付いていますよ」(クァク)
さらに、栄養バランスに配慮したチックピー(ひよこ豆)バージョンの開発も進めている。これはEPFLと同じローザンヌにあるホスピタリティ・ビジネス・スクール(EHL)との共同開発で、タンパク質、脂質、炭水化物の比率を世界保健機関(WHO)の栄養基準に基づいて最適化したものだ。ただし、密度が高く重いため、飛行可能か検証中だという。
食べられるドローンの使い道には、災害時の非常食や紛争地帯への援助物資の運搬などが挙げられるだろう。着陸後に廃棄されるケースでは環境負荷を低減でき、食べればもちろん栄養補給になる。食べられない部分はドローンのパーツとして再利用可能だ。食べられる翼は、人類に新たな希望を授けるかもしれない。
食品工場で働くロボットも食用に
LISの実験室では、食べられるロボットの「手」も開発されている。このロボットの可動部、つまりアクチュエーターにあたる部分に用いられているのは、ゼラチンだ。
「ゼラチンは動物由来の素材です。植物性がよければコンニャクで代用できます」とフロレアーノは説明する。素材の片面に切り込みを入れると、空気や水圧を加えたときに一方向にだけしなり、指のように屈曲する。これはソフトロボットを動かす基本的な構造で、食品工場などで食材を傷つけずに扱うためのグリッパーにも応用されている。ただし、通常それはプラスチック製だ。
フロレアーノの研究室でつくられたゼラチン製のグリッパーは、プラスチック製のものと性能は同じだが、食べられる。「食品工場で寿命を迎えたプラスチックのグリッパーは廃棄されるでしょう。でも、われわれのグリッパーなら、食品と一緒にミンチにして食べてもいいんです」とフロレアーノは笑顔で話す。
さらにこの可食アクチュエーターは、水中でも使用できるという。コンニャクでつくれば水に強く、水中で分解されても魚に害を与えない。フロレアーノは「1年以上、水に浸していた試験片がありますが、質感を保っていました」と続ける。
例えば、これを使って水中の植物を間引いたり、特定の魚群に何らかの薬剤を届けたりすることも可能かもしれない。海に落としてしまうことがあっても、自然に還り、場合によっては魚の栄養源になることもあるだろう。
フロレアーノの研究室では、すでに多様な食材がロボットの素材へと変貌を遂げている。例えばゼラチンやキトサン、パフライス(ポン菓子)は、柔らかい外皮や軽量の骨格になる。パーツ同士の固定には、スターチやソイプロテインを使う。重曹とクエン酸の化学反応を動力にするアイデアもある。
フロレアーノらは現在、イタリア工科大学のマリオ・カイローニ博士と連携し、「食べられるエレクトロニクス」の研究にも取り組んでいる。セルロースやゼインをベースにした回路基板に金箔の導線、植物由来のゲート素子、そしてリボフラビン(ビタミンB2)とケルセチン(抗酸化物質)を電極にした“食べられる充電可能なバッテリー”まで生み出されている。未来の医療デバイスは、胃の中で情報処理を進め、栄養素として消化されるのかもしれない。
「食べられること」が変える、ロボットのデザイン
フロレアーノの食べられるロボットというコンセプトは、単に「エコなデザイン」に帰結するのではなく、ロボット工学を「生態系に参加する」位置付けへと再設計するものだ。
出発点は他愛もない雑談だったという。数年前、フロレアーノの研究室の博士課程で学び、世界初の「食べられる手」や「食べられるドローン」を設計した新竹淳(現在は電気通信大学大学院情報理工学研究科准教授であり、フロレアーノの共同研究者でもある)が、こんなことを口にした。
「ぼくたちは生き物にヒントを得てロボットをつくっていますが、生き物は死んだら食べられる。でも、ぼくたちのロボットは、そうなっていませんよね?」
その一言にフロレアーノはハッとした。「最初は、何の冗談を言っているんだ? と思いましたよ。でもよくよく考えてみれば、とても重要な視点です」と、彼は深淵を見つめるような眼差しで述懐する。
地球に生物が誕生してからというもの、そのほとんどは死後、ほかの生物に食べられ、あるいは分解されて栄養となり、自然に還る。しかしロボットは壊れても、ただの廃棄物になるだけで食べられることはない。どれほど動物のように動き、知的なふるまいをしても、それは生命のようでいて、同じエコシステムには属さない存在なのだ。
「西洋社会と比べて、日本にはまだ食と生の連続性があるのではないでしょうか。例えば、お好み焼きの上でまだ生きているかのようにゆらゆら動くかつお節。それを見て、食べる。あれは美しいと思うんです」とフロレアーノは冗談めいて語る。
食べられるロボットは、いまのわたしたちの目には奇妙に映る。だがそれは、わたしたちが“食べられないロボット”が当たり前の世界に住んでいることの証明なのだ。そして人類の最先端の知性やテクノロジーが、自然に還ることのないロボットに結晶しているということは、そこに根本的な断絶があるのかもしれない。
「もしロボットが他者のなかに取り込まれ、分解され、何か新しいものの一部になるとしたら、それはとても美しいことだと思いませんか?」。フロレアーノは食べられるロボットの未来について、こう表現した。
テクノロジーの生かし方について、わたしたちはずいぶん遠いところまできた気になっている。だがテクノロジーの“死に方”については、まだ入り口に立っているにすぎないのだろう。
SPECIAL THANKS TO PRESENCE SWITZERLAND (FEDERAL DEPARTMENT OF FOREIGN AFFAIRS), EMBASSY OF SWITZERLAND IN JAPAN
EDIT BY ERINA ANSCOMB
大阪・関西万博 スイスパビリオン
大阪・関西万博のスイスパビリオンは、「人間拡張」「生命」「地球」をテーマとする3部構成で、2カ月ごとに一部展示が入れ替わる。スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)のLaboratory of Intelligent Systemsで開発が進められている「食べられるロボット」は、「人間拡張」の期間中(4月13日〜6月10日)に展示される。
編集長による注目記事の読み解きや雑誌制作の振り返りのほか、さまざまなゲストを交えたトークをポッドキャストで配信中!未来への接続はこちらから。
雑誌『WIRED』日本版 VOL.56
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