日本の食料生産拠点と言えば北海道。北海道の食料自給率はカロリーベースで218%で、日本全体が38%程度だから、いかに北海道が日本の食を支えているかがわかる。2025年5月29日には、北海道フードイノベーションサミットも開催されるのだが、特徴は食農とまちづくりが一体となって議論されることである。今回は、AIやメタバースなどデジタルの世界でフードイノベーションが加速するなかで、なぜ地域発の共創拠点が盛り上がりを見せているのかについて紹介する。
食品開発におけるAIの進化
「Future Food(未来の食品)」と聞くと、植物性代替肉や培養肉、栄養価をパーソナライズした食品などを思い浮かべるかもしれない。いずれも環境に配慮したもの、アニマルウェルフェアに配慮したもの、健康に配慮したものといった具合に、これまでダメージを与えていたものを償うかのごとく、目的や必要な機能が明確になったものが多い。「美味しい」とか「おふくろの味」といった類のものではないのだ。
動物性素材を一切使わずに本物の肉とそっくりな食感にしたい、栄養素X,Y,Zを入れつつ苦味は取り除いた上で素材の原価をXXドル以内にしたグラノーラをつくりたい、そんな明確な食品開発のプロンプトがあるとき、力を発揮するのが人工知能(AI)だ。いま、食品開発におけるAIの進化が目覚ましい。
南米チリ生まれのスタートアップ「NotCo」は、食品の味、色、機能、栄養、食感などをデータ化し、例えば動物性ミルクを植物性素材のみで開発しようとしたときの素材の組み合わせや加工方法について何がベストなのかを提示する独自のAIアルゴリズムを開発している。
2023年にサンフランシスコ郊外で開催されたFood AIサミットにおいて、「NotCoのアルゴリズムを使えば、物理的に食品のプロトタイプを製作しなくても、AI上でシミュレーションを重ねられるため、これまで18-24カ月かかっていた研究開発期間を3-6週間に短縮できる」と解説していた。大手食品メーカーのクラフト・ハインツはNotCoとジョイントベンチャーを創設し、商品開発の効率化を進めている。
植物性プロテイン領域のAIアルゴリズムを開発しているのは、米国スタートアップのShiruである。Shiruは2019年に合成生物学企業として創業し、AIと機械学習を活用した「Flourish」を開発し、数億にも上る植物情報データベースから、高機能で商用に向いている天然のタンパク質を特定している。CEOのジャスミン・ヒューはタンパク質の専門家で、代替卵のスタートアップEat Justの食品化学者であった。その代替プロテイン開発の経験から、アルゴリズム開発を事業化したのである。Shiruは北米を拠点とするAjinomoto Health & Nutritionとも提携している。
こうした食品開発AIスタートアップには、ほかにも健康機能に強いBrightseedや穀物に強いGrainge aiなど数多く存在している。かつてないほどに、食品開発はAI化し、高度なシミュレーション技術の応用分野となっているのだ。
メタバースと食品の製造設計
コンピュータ上のシミュレーションのもとに開発された食品。これは一体どこで製造されることになるのか。スペイン発の粉末化技術スタートアップBlendhubは、独シーメンスと協業し、同社のインダストリー・メタバース技術を使って食品の製造設計図を、南米やインドなど世界各地の工場に送信し、ローカルの食材を使って食品を製造している。設計図は共通ながら、各ローカル地域にある原料で再現する技術に強みがある。食品はアルゴリズムができただけでは食べることができない。製造設計図をデジタルツイン上の工場で走らせ、地元の原料で再構築していくことによって、ローカル性を活かした生産が可能になるというわけだ。
BlendhubのCEOヘンリック・クリステンセン氏は、どこで生産されたかわからない加工食品業界において、これからは原料の透明性が求められると言う。どこで育ったどういった原料を使っているのか、常に明確にしておきたいという思いからこの事業を立ち上げたのだという。
世界のフードイノベーション拠点
インダストリー・メタバース上の工場を駆け巡るFuture Foodの設計図。こうしたデジタルレイヤーで食の進化が起こる一方で、リアルワールドに目を転じてみると、イノベーター同士がより強固につながるイノベーション拠点が出現していることに気付かされる。
一例を紹介しよう。スマートキッチンサミット発祥の地は米国シアトル。イノベーションの本拠地シリコンバレーから1,000キロ北上した場所にあり、フィヨルドの海岸には豊富な魚介類が生息し、レストランに行けば、サーモンや牡蠣、クラムチャウダーなど水産系のご当地メニューが多い。クラフトビールや自然派食で知られる街ポートランドの隣であることもあって、食への関心が高い地域でもある。
この街からスターバックスが誕生したことはあまりにも有名だ。マイクロソフトやアマゾンのお膝元の街であり、早くからフードxテクノロジーをテーマにしたエコシステムが構築されてきた。マイクロソフトの元CTOであるNathan Myhrvoldが、調理を徹底的に実験・解析するラボModernist Cuisineを創設し、2,438ページ(総重量24kg)という超重厚長大な書籍にまとめあげ、米国西海岸のテックギークたちが食の世界に魅せられるきっかけなったことが知られている。このシアトルから始まったフードテックのコミュニティが、Food AIサミットの開催につながっているわけだ。
産官学にシェフも巻き込みフードイノベーションを活発に進めているのは、スペインのバスク・フード・クラスターだ。09年の発足から、2年後の11年には、Basque Culinary Center(BCC)がつくられ、料理人が博士課程まで取得することのできる大学が誕生した。これにより、料理人のスキルもさることながら、社会における地位も向上した。BCCはスタートアップ育成も行ない、シェフも巻き込んだ食の起業が進む。
21年には研究機関のAZTIが、Food 4 Futureという欧州最大のフードテックカンファレンスを開き、9,000人ほどが参加する規模となっている。2024年時点ではバスク州のGDPの10.7%、企業の24%が食関連になっており、同地域にとって食産業の存在感は相当に大きくなっている。
バスクは独立運動が起こるほど独立意識が高く、徴税権をもつ特殊な地域である。モンドラゴン協同組合のもと、ある種産業同士の結びつきが強い。サン・セバスチャンは美食の街として知られているが、その美食を支えるシェフがバスク地方のイノベーションの立役者となっている。この模様はTokyo Regenerative Food Labでも現地ビルバオ市からお届けしたエピソードがあるのでぜひお聞きいただきたい。
まちづくりと一体化する日本の拠点
シアトルやバスク以外にも、ボストン、ミラノ、ローザンヌなど世界各地で産官学、大企業、スタートアップ、シェフ、投資家といったステークホルダーを結びつけ、共創型エコシステムの構築が進んでいる。いずれの拠点のコミュニティもその地域には閉じずに、世界に開かれた共創のコミュニティをつくっている。AIを活用した食品開発がメタバースで世界各地につながり、リアルではステークホルダー同士が繋がり始めている。では、日本はどうなのか?
Future Foodの研究開発の拠点として立ち上がっているのが東京・日本橋だ。24年12月、Tokyo Regenerative Food Labにおいて、日本橋再生計画に携わる三井不動産をお招きし、日本橋をイノベーティブな食の特区にする構想について聞いた。三井不動産初の食の研究開発支援施設「&mog Food Lab」には、スタートアップが入居してFuture Foodを開発をしている。高機能な設備や、試食会のできるスペースなどが完備されており、スタートアップと大企業が協業する場としても使われている。
日本橋の隣に位置する東京・八重洲では、食のイノベーション拠点として、東京建物がGastronomy Innovation Campus Tokyoを開設した。キッチン付きのコミュニティ活動スペースと、カフェが一体化した場所には、BCCが初の海外拠点を構えている。BCCの教育プログラムが開催されたり、フードテックの最新設備が体験できる場になっている。
東京以外ではどうだろうか。愛知県豊橋市の東三河地域では、サーラ不動産が「東三河フードバレー構想」を仕掛けている。北部に位置する山々と、三河湾(内海)と太平洋(外海)に突き出す渥美半島という南北に伸びた地域。山の幸にも海の幸にも恵まれた地域。キャベツ、しそ、とうがんといった野菜では生産量日本一、とれる海産物の種類も日本一だ。東三河を農家や料理人、農業系スタートアップなど食に携わる人=「フードクリエーター」の聖地としていくべく、農業技術と情報、お金、チャレンジ精神が集まる拠点となることを目指す。サーラ不動産の赤間社長は、このフードバレー構想を「まちづくり」として捉えており、いずれは世界規模の大フードメッセ(見本市)に発展させたいと意欲を示している。
「フードイノベーションxまちづくり」と言うテーマでは、25年5月、北海道北広島市にある、北海道ボールパークFビレッジにおいて、北海道フードイノベーションサミットが初開催される。Fビレッジは、プロ野球日本ハムの本拠地であるエスコンフィールド、最新の食や農を学べるKUBOTA AGRI FRONTなどの施設があるが、今後、新駅開業、北海道医療大学の移転、マンション建設などを予定しており、まさにまちづくりの真っ只中にある。どのように関係人口を増やしていけるのか、どのようにウェルビーイングを向上できるのか、さまざまな施策を社会実装していく上で、Fビレッジが食農にかける期待は大きい。
このほかにも、日本には、秋田県の男鹿、静岡県の掛川、新潟県や山形県など、各地にフードイノベーション拠点が生まれつつある。
日本の特徴は、こうした食の研究開発拠点構築を不動産デベロッパーやまちづくり当事者が仕掛けているということだ。世界のエコシステムを見渡しても、こうした事例はなかなか見当たらない。デベロッパーが魅力的なまちづくりを進めるなかで、美味しく楽しくサステナブルでリジェネラティブな体験を提供できる手段として、「最先端のフードイノベーションの社会実装」に期待が寄せられている。
まちは、歴史、風土、気候、文化を包含する。AIでデジタルに食をシミュレートしていくことは不可逆なトレンドかもしれないが、だからこそ、その地域に向き合い、地元民も域外からのイノベーターも繋がり続けるリアルなエコシステムの現場にわたしたちは魅了されるのかもしれない。
岡田亜希子|AKIKO OKADA
UnlocX取締役・インサイトスペシャリスト。マッキンゼー・アンド・カンパニーなどコンサルティング企業にて、リサーチスペシャリストとして従事。2017年以降、フードテック領域におけるエコシステム構築活動にかかわる。グローバルフードテックサミットである「SKS JAPAN」創設および、その後の企画・運営に参画するほか、24年1月よりUnlocXにてフードテック関連のコミュニティ構築、インサイトの深化、情報発信などの活動に従事。共著に『フードテック革命』、最新刊に『フードテックで変わる食の未来』がある。『WIRED』日本版にも多数寄稿するほか、ポッドキャスト「Tokyo Rgenerative Food Lab」でもおなじみ。
Edited by Michiaki MATSUSHIMA
※『WIRED』による食の関連記事はこちら。
雑誌『WIRED』日本版 VOL.56
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